黄昏のバイカウツギ
一日の終りごろ、庭先の梅花空木 アリが盛んに働いていた。
今日は実家の部屋の中をだいぶかたづけ、多くの物を処分した。
生前の父の残した机や食器戸棚、テレビ、冷蔵庫、ピアノや衣類、そして仕事に使う数多くの高価な道具など。
終戦とともに、中国からただ将校行李「しょうこうこうり」一つで復員した父が
コツコツ働きながら蓄えた物。蓄えた全てが今の時代にはほとんど不必要になってしまった。
家さえもやがては建て直す日が来ることだろう。
実際、誰も使えない。使えるものは、欲しい人に分けたり、骨董屋さんに買ってもらった。
そして、リサイクルセンターへも運んだ。
終戦後に物がなく、やっとの思いで取得した物が今では粗大ごみ扱いされようとは・・・。
片付けながら「お父さんすみません」という念にかられた。
何もなくなってしまった部屋は空虚で、そこはかとなく寂しい。
目を閉じれば、色々なものに囲まれた父母の思い出が蘇る。今も、部屋の中には
多くの物が整然と並んで何一つ無くなっていないかのように実感する。
父の費やした仕事に対する労力は決して消えていない。そこには父の実相がただあるのみ。
ギリシャ時代の哲学者が「あるものはある、あらぬものあらぬ」と言ったそうだが、当に
その通りだ。
しかし、そこには父の孫が新居を築く。今が正に世代交代の時期。
命を継ぐこととは、当に世襲・・・。親が子を育て、子が親を食う・・。
気がつけば、自分もこうして生きてきた。
隣の家壁が全てを記憶しているかもしれない・・・・。