蒼い凝り人の独り言: 2010年3月アーカイブ

2010年3月アーカイブ

suwa.JPG 今日で盛岡の生誕90年澤田哲郎展も終わった。マリオスで最終日には500人の訪問者があったと聞いた。興奮冷めやらず・・・。偉大な画家のエネルギーを誰しも感じいったに違いないと思う。
 脳裏に焼きついた感動の火は密かに燃えている。サムホールの集合体などまるで宝石のような輝きを放っていた。中でも屏風に描かれた日本画を思わせる作品の朱色はハッキリしたインパクトを与えた。
 出展した雪降る街も無事に我が家に戻ってきた。昔の仲間にあったような嬉しそうな表情をたたえ、多くの人間の視線にさらされて一回り成長した貫禄を醸し出していた。絵画は視線を受けて成長した。絵画が独り立ちして語りかけてくるようだった。今日もじっと絵を見ながら、思い出とともに1日過ごした。 盛岡は川がきれいで、人が優しい。今の時期は風が頬を切るつめたさ、暖かくなったらまた新幹線で訪ねてみたい街であった。北上川が微笑んでいるような感じがした。 

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温麺

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pyononnmen.JPG 寒い時には身体が温まる温麺の方が美味しい。外気が頬を引き締め。空気が凛として生き返る。その場でしか味わえない味、・・・


 

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gojyoko.JPG 盛岡には計3回行ってしまった。かなり身体にこたえた。自然が残っていて非常に好感が持てた。最初に泊ったところが繋温泉、その宿の手前に広がる朝の御所湖、朝の光の中・・・。昨日の雪がキュキュと足元にある。偉大な画家の絵に魅せられてしまった。冷麺を食べたぴょんぴょん舎、そこにも澤田の絵が展示されていた。ここの冷麺は絶品だった。そして、外を風と共に雪が舞い、どこからともなく雪女が現れそうな川べり。

郷愁

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 私の一番下の妹からいただいたランがいつの間にか咲きだした。このランを戴いたのは何時頃の事であろうか?記憶にないが家内が言うには20年以上前の事である。それから次第に大きくなり今年初めて花芽をつけた。どんな花目がつくのだろうと、毎日楽しみにしていた。盛岡から帰ってきた次の朝に咲いていた。出かける前には咲いていなかったのに、ここ数日の陽気で急に咲いた。yuki.JPG

 ところで、盛岡の生誕90年澤田哲郎展は非常にインパクトがあり、数日間興奮してよく寝られなかった。マリオス会場と啄木賢治青春館で2日間観賞した。「職人の絵かき」だなやはり澤田は・・・・、モーツアルトを思わせる彷彿とした表現力、語らい、既に時がたち油絵の具が剥落しそうな絵もあるが、絵具の色を超えてまさにそこにはイメージが湧出するがごとく、見ているものを魅惑する。会場には涙を浮かべながら感動する人達が多くいた。ああ澤田哲郎・・・。実にすばらしかった。密かに、生家、や菩提寺にも立ち寄った。岩手山が歓迎の雄姿を現し、繋温泉の御所湖が輝いて見えた。寝ても覚めても今一度行きたいものだ・・・。ついに決心した、”出かけるぞ・・・”90sawada.JPG

 という訳で、又盛岡に出かけることになった。何度でも行きたい。その感動のおもむくまま、今日も盛岡に向かう。・・・

突然の停車

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盛岡から新幹線で帰宅途中、列車が緊急停車した。福島県沖に発生した地震のためである。列車が止まってもかなり揺れが激しい。高い所を走っているので、このまま転落すれば、死んでしまう。恐怖感で身体が強張ってしまった。 地震の規模はマグニチュード5、今福島で停車中だ。『澤田哲郎展』の様子は後日アップするつもり。 今は無事家に帰り着くことを祈りつつ・・・。

いよいよ盛岡にむけて出かける朝が来た。昨日、息子から『気をつけて行ってきてね』という電話があった。楽しみにしていた澤田哲郎展にむけて、カメラとビデオカメラとレンズを入れたカバンが重い。どんな写真がとれるかが楽しみだ。

重い雪

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yukiburuber.JPG「雪は降るあなたは来ない・・・」

アダモが歌った歌・・・

思わず口ずさむ

 3月の雪は どか雪

思いもしない時に降る

道路もシャーベット状につもり

野や畑も雪で重そう

これが暖冬の 雪か・・・。

ホームパーティ

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 昨日は友人のホームパーィに誘われ、日ごろから親しい夫婦と2時間30分過ごした。1年間にわたる食事制限をして、なかなか会食などの機会がなかった。血液検査の結果今は数値がすべて正常値になった。しかし、友達は私の身体の事を考えて、決してお酒を注ごうとしない。「お酒1.8mlまではOKだよ・・・」と言ってやっと注いでもらった。イタリヤ旅行から帰って来た為だろうか、友人のつくった手の込んだラザニアを御馳走になったが、「チーズ大丈夫・・・、シフォンケーキは卵黄を使ってないから・・・」と気づかわれてかえって恐縮した。人に気づかわれる事のありがたさをつくづく感じた。その事がケーキに甘さを一層添えて、コーヒーのほろ苦さとマッチして美味しかった。keikitusi.JPG                   手作りのシフォンケーキ

 三夫婦とも子育てを完了し、これから余生を楽しむ年齢になった。彼らは海外旅行に目覚めて、次回はどこどこへ・・と楽しそうであった。眼底出血の原因疾患である高血圧症と高脂血症の加療のため家内にはどこにも連れて行ってあげられず、本当に申し訳なかった。しかし、これからはどこへでも行ける状態に体が回復した。で、3月13日から盛岡へ2日間、生誕90年澤田哲郎展を観賞する。そして湯治に・・・。人生楽しき哉・・・・としみじみ思える今日この頃。内科の医者に「シャープな体でシャープなゴルフが出来ますね・・・。体重が下がったらすべての数値が正常になりましたね・・・。」といわれて思わず笑みがこみ上げた。

絵画搬出

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 9時30分を少し回ったころに、学芸員2人と日通の2人が美術品を運搬する専用車でやってきた。挨拶すると名刺を手渡された。いよいよ、梱包を開始した。壁に掛けてある絵「雪降る街」「少女」二点の作品の保存状態を入念にチェックして、その詳細を別紙に記載して写真に撮っていた。盛岡まで絵画を運搬する際に、絵具がはがれ部分的に破損しない様に細かく注意をはらいながら梱包する様子がうかがわれた。
 梱包が終わったころに、居間のテーブルで家内が出したお茶を飲みながら学芸員の人が澤田哲郎作品の話や、澤田が没した後、奥様の園子先生が澤田哲郎の作品を自分の子供のように思って澤田哲郎画集の編集をしたことなどの思い出話をしていた。
 東京国立近美、神奈川県立近美、山梨県立美、澤田哲郎小泉記念室、個人より澤田哲郎作品を借りるので時間に追われているため何かと忙しそうである。数日後には盛岡に帰る予定であり、総展示数が400点に及ぶ作品の展示準備にと余念がない。
 10時30分頃に梱包が終わり慌しく、中野に向かって出かけていった。本当に御苦労様である。こちらも仕事中であり、お茶でも飲みながらもっと詳しく歓談したかったが出来なかったので残念であった。
  盛岡市民文化ホール・展示ホール マリオス4階には3月12日(金)から22日(月・祝)まで展示される。3月1日(月)から、もりおか啄木・賢治青春館ではすでに「サムホール作品」が展示されている。かおりんさんの投稿によれば170点を展示済みと書いてあった。

大けやき

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  昨日の大けやきの周りに子供たちが遊ぶ澤田の絵をアップした。澤田哲朗小泉記念室の発行した写真集から掲載した。SAWADA と書かれている表紙の画集の中ににある。 いよいよ明日は絵を盛岡に運ぶため、忙しくなりそうである。澤田哲郎の生涯展にふさわしい作品が多く搬入されるようである。2週間後には盛岡に出かけると思うと今夜も密かに興奮してくる。左の大けやきは羽村の堰からすこし坂を下った信号の脇にある。遠くから見てもすぐにわかるほど大きい大木である。    keyakiko.JPG

 

 

 

 

 

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大けやき

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 今日から3月、寒さもだいぶ和らいできた。梅の花もだいぶ咲いている。昨日、羽村の堰に出かけたが、河原におりるところが通行止めになっていた。途中の道端にはマンサク、や紅梅が見事に咲いていた。昔妻の実家だった所の近くの大きなケヤキの木が上手に剪定されている。と言っても人が梯子をかけて届くような高さではない。自然に葉が落ちると程良い具合に形態が整っている。自然の植木屋さんが空中から剪定しているようだと感じる。

 澤田哲郎画伯が妻の実家によく遊びに来たが、そんな折そのケヤキの木の周りに8人の子供と子供を背負った両親を描いている。大樹に子供達(1962)Sawada という色紙が 静岡県富士宮市に在住の熱心な澤田哲郎愛好家(澤田哲郎小泉記念室)の手によって発行された画集の中にある。

 思えば48年前の事で、妻もまだ小学生の頃だと思う。妻の両親に連れられて中野のアトリエに行った。部屋の中に、粋な女性(澤田画伯の奥様)がいてペルシャ猫がたくさんいた。異様な臭いが鼻先に漂ってきた。油絵具と猫の臭いが混ざったような面白い臭い。アトリエにはキャンバスがうず高く積まれていた。あまり詳しく覚えていない。当時の記憶からすれば気味の悪い絵を書く人だと感じた。

 しかし、今は違う・・・。人間の奥にある言葉には言い表せない表情をどの絵からも感じる事が出来る。

 羽村の川で投網を打った澤田さん、禁漁区で投網を打ち警察に捕まった妻の父の事、警察で出されたカツ丼が美味しかったと得意そうに話した妻の父が懐かしく思い出される。

 「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず・・・川面に浮かぶうたかたは・・・」方丈記の一節が浮かんでくる。過ぎ去った時代の片鱗をこの大ケヤキは見てきた事だろう。そして人々の生業も・・・。

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