「兄弟は他人の始まりと」いう・・・・、
盆暮れの御挨拶も、兄弟同士はするものの、従兄弟やはとこの代になると自然と途絶えるものなのだろう。母親が他界して13年、母親の従兄弟にあたる人から“盆暮れの挨拶は遠慮させてほしい”という手紙が届いた。確かに今は付き合いもないし諸般の事情から、母の13回忌にも呼ばなかった。
自然と赤の他人になる時期なのだろう。祖父の弟の子供が親戚づきあいを今後しませんと行って来たのだ。こちらも盆暮れの付き合いは如何なものかと思案していたので、ちょうどよい。一抹の寂しさはあるが、親戚なんてそんなものさ・・・。
代が変わり、祖父の遺産はすべてその親戚のものになった。遺産相続でもめている母を見かねて、父が遺産放棄しなさいと母に話し、母も断腸の思いで遺産を渡したと聞く。母が命がけで仕事して祖父の借金を返済して、祖父が死んでしまったら、話をでっち上げられ、祖父の弟に財産は行ってしまった。納得できない話だ。祖父には複雑な内縁関係があり、その事を理由に先方から遺産を諦めろと言ってきたという。相続人は2人いたのに言いくるめられたと聞く。今、継いでいれば億万長者だろうに。ベンツやフェラーリーで豪遊していた事であろうに。今もその場所を訪れると、不思議と腹が立つ。しかし、恨んではだめだと自分に言い聞かせるようにしている。遺産ほど不愉快なお金は無い。しかし、その財産の半分近くをノイローゼで入院した長男の入院費用に出費して失ってしまったと聞く。自業自得だと思わざるを得ない。生前母が、「自分の財産はコツコツ自分で作りなさいよ、決して甘い話に乗ってはだめだよ・・・。」と口癖のように語っていた。親の秘密が親の死後になって如実に分かる。苦労したんだな、母は・・・。
しかし、その教訓が生きたのだろう、父親の遺産に対しては、父が遺書を残してくれたので、兄弟は骨肉にならず平和に事が澄んだのかもしれない。母が「この思いを自分の子供達には味あわせたくない」とよく話していた。母は柔らかく、優しい人だったな・・・。
過ぎ去れは 苦し悲しみ 露の様
朝の光に いずこにうせん
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