2010年2月アーカイブ
生誕90年澤田哲郎展のパンフレットが文化庁・澤田哲郎生誕90年展実行委員会からおくられてきた。そのパンフレットをWEB上に掲載してもよいかと問い合わせたところ快諾を得ましたのでその一部を掲載させていただきました。全部はpdfファイルでアップしました。sawada.pdf(生誕90年澤田哲郎展)
今回の展覧会は最大の澤田哲郎生涯展であろうと思われる。今後このよう企画はなかなか無いと思われ、それだけに感慨深いものがある。作品が持つ独特の感性、期待感、重厚感、詩文の様な語らい等、作品の中に共有する澤田画伯のスピリチュアルな部分が必ずや大きな波動となって展覧会場に広がる事であろうと期待しています。個の作品単独では決して感じとれなかった絵描職人澤田の部分が、作品群としての展示の中から甦ることであろう事に期待感が高まりつつある。
夕食前に散歩に出かけた。相変わらず寒い。開店して数日たった夕方のヤ〇〇ーの周辺に行った。3日前の混雑は無く、ちょうど買い物するには適当な混雑ぶりであった。開店当初は、〇〇半額と広告宣伝されていたためか、多くのお客さんが賑わっていた。すこし割高なんじゃないと言っていた人もいた。次第に客足が少なくなり、熱狂は終わる。
商売、これからが真剣勝負。リピーターをいかに作るか・・・。もう一度行きたくなる雰囲気、・・・いや、いかに安くておいしいか。鮮度は・・・・1か月後は客足増えるかどうか?密かに、調べて見る事にする。
今日は一歩も外に出ずにのんびりと過ごしていた。時間があったので、アサヒカメラ3月号を読んでいた。あまり元気になれずに1日が終わった。寒いせいなのか、何もやる気が起こらない。 娘は結婚式に呼ばれていると、午後から都内に出かけた。たまには断ればよいものを、今まで言われたものはすべて出席している。人の事より自分の事を考えればよいものを・・・。律義に出かけて行くのを見ているとすこし首を傾けたくなる。死んだ自分の父を見ているようだ。出好きで、目立ちたがり屋だった父・・・。その遺伝子が受け継がれているのだろうか・・・?その半面、自分は出ぶしょうだ。人の為に自分の時間が潰されるのが嫌いだ。自分はあまのじゃくだから・・・(^0_0^)
今日はゴルフに行く予定でしたが、今朝からの雪でクローズになり時間が余ってしまった。インターネットでカメラのレンズを調べていたらちょうど昼になった。「お昼は何にしますか?」と家内に言われ、家内の行きつけの喫茶店に海洋写真が展示されているからという事でその喫茶店に出かけた。そこで昼飯を食べてからカメラショップに行った。その帰り道、本日開店のヤオコーに行った。駐車場は開店と言う事で180台ぐらいの車が止まっていた。一階の駐車場は既に満車なので屋上の駐車場に止めた。店内はお客さんで一杯、賑やかだ。開店はいいものだ。入口がすこし入りにくいのが欠点だ。しかし、慣れればいいのかも知れない。色々見て回り、夕食の惣菜を買い込んだ。
家に帰り着くと、しばらくして先ほど見てきたレンズをカタログで調べて見た。中古だし、試しに使ってみるか・・・と思い。家内がアクセサリーのお店に行くと言うので買ってきてもらった。家内の話によるとそのレンズは展示品なので、中古ではなく新品だった。しかも、展示品だったという事で定価の1/3程度の金額で買う事が出来た。早速、撮影してみた。今日は得した気分になった。スナックエンドウが美味しそうに撮れた。
今日も雪が降り出した。寒い。道路を走る車がシーと音をさせて通り過ぎる。
路面に雪が降り続く。明日の朝は路面が凍るだろう。
家の車のタイヤをスタッドレスに変えておいてよかった。
昨年は、一度も雪道を走ることなくタイヤを乗りつぶしてしまったが、
今年は何度も雪が降るので、重宝しているようだ。
夕方7時ごろ、用事があってきた大学生の父親が死んだと聞いた。その父親とは知り合いである。単身赴任で出かけ、健康診断で十二指腸潰瘍で要注意を受けたが、家族に心配をかけないようにとで内緒で勤務していた。しかし、突然体調を崩して入院して帰らない人になった。享年49歳と聞く。病気で入院すればリストラにあう事を心配して無理して勤務したのだろう。言い表せない悲しみを禁じ得ない。残された御家族の心中を思うと気の毒な話である。御冥福をお祈りいたします。
二階の窓から見える家は半年前まで明かりがついていたが、今は誰も住んでいない。リストラにあい、夫婦は協議離婚し、奥さんは生活保護になった。
政治の貧困が招いた社会現象、次第に身近な人達にその弊害が及んできた。今の国の政治には腹が芯から立つ。国会答弁もいい加減な感じがする。こんな状態で行けば、何時かはテロに襲われかねない。政治家の諸君、国民の血税を無駄に垂れ流すな。いま、君たちの政治のツケが国民の上に深刻な惨事を作りつつある事を。国民が理性を失う時期が来ない様に、もっと深刻に社会現象を把握してほしい。
写真は娘からいただいたチョコレートと息子の彼女からいただいチョコレートのコラボ・・・。幸せ・・・デス・・・・。 |
昨日のメールにも書いてあったが、息子が大阪旅行から帰り、日曜日の仕事終了後に遠方より夕食もしないでお土産をとどけてくれた。しかも、息子の彼女が作った手作りのチョコレートを手渡された。鈍感な私は「梅干し・・・?」とバカなことを言ってしまった。玄関先が少し暗かったので、よく見えなかった。でも、そんなの理由にならない。いつも家内から「あなたはデリカシィーが足りないのよ・・・。」と言われているが、まさに彼女に申し訳ない事をしてしまった。ごめんなさい。すこし、ボケたかな・・・。言い訳なんかみっともない。いや、物事をよく見ないで判断する癖が出てしまった。息子も、バカな親父だな・・・と目が訴えていた。すまん、・・・。(-_-;)
今日がバレンタインディだなんて、すっかり忘れていた。今日のオリンピックのニュースでも若い人達が頑張っている姿を見て心の励みになった。最近、すこし疲れ気味で仕事が辛くなってきた。でも、出来る範囲で頑張るから・・・。
盛岡で開催される ―生誕90年―「澤田哲郎展」-盛岡・シベリア・東京・アメリカ‐に行こうと、盛岡の繋ぎ温泉の旅館に予約をとった。3月13日(土)、14日(日)で出かける予定。我が家にある澤田哲郎の「雪降る街」も展示される予定だ。雪降る街は会場でご覧ください。多くの作品が展覧会で共演する状態を早くみたい。左の絵はサムホールで寝室に掛けてある。sawada 1971
以前に一度、安比高原に旅行で行った事があるが、盛岡の市内などほとんど記憶にない。澤田哲郎画伯は妻のお父さんと親交が深く、我が家にも訪ねてきた事があった。その時、自分の描いた油絵を見せた。絵については何も言わなかったが、毎日同じものを描き、1年後にそれを見ると何か必ず新しい発見があると言っていたのが記憶にある。物事、同じ事の積み重ねで、ふと振り返ると新しい境地に到達しているという意味であろうか?それから、数年して澤田さんは他界した。澤田画伯の奥様は耳鼻咽喉科を中野で開業され、澤田画伯を経済的に支えた女医であった。傍から見ると不思議な御夫妻であったようだ。その後に、東京・ギャラリージェイコつくし野店の個展があり、澤田画伯の絵を守ろうと数点購入した。澤田画伯の絵はニューヨーク近代美術館や、神奈川県立近代美術館、岩手県立美術館、山梨県立美術館などに納められている。その中から、日本にある数点が盛岡の展示会場に運び込まれるそうである。澤田哲郎は藤田嗣治に師事して、腕を磨きあげ独特の作風が面白い。戦後、間もなくの頃にロシアに捕虜として残り、帰還した。戦後間もないころの作風はロシアの人や貧乏な人達を描いている。ニューヨーク滞在の頃は次第に抽象の世界に入り、晩年はまた職人の絵描きを自負し、生涯「三万マイ」を掲げてサムホールに心の詩文を具象化した作風を描き続けた。一見、見苦しく、しかも日常に存在するものの中の非現実的空想描写が多い画風だが、一皮むいた人間のもつ独特の臭気が紛々と鼻を突く。じっと立ち止り考えさせられてしまう。ネットに盛岡市インターネット美術館というのがあった。
女房のお父さんが口癖のように言っていたのを思い出す。「澤田は将来必ず世に出る人だ、やつは本当の絵描きなのだ・・・」その言葉が今ある絵を購入するきっかけになった。今回盛岡に展示される前に、富士宮の澤田哲郎小泉記念室の展示会に出した事がある。大作は自ら展示会場を求めて歩きだした。今回、盛岡での展示会が最大の展示会になると思う。これを機に世の中に多くの作品が出てゆけることを願っている.
―生誕90年―「澤田哲郎展」-盛岡・シベリア・東京・アメリカ‐ 会期 /会場 ・2010年(平成22年)3月12日(金)?3月22日(月・祝) 盛岡市民文化ホール・展示ホール(マリオス4階)019-621-5100 ・ 2010年(平成22年)3月1日(月)?3月28日(日) もりおか啄木・賢治青春館 「サムホール作品展示」019-604-8900 入場無料 |
家の片隅でひそかに咲いているミニシクラメン
妻が3年前に買ってきた。
昨年の12月より今まで咲き続けている。
花が散る前に写真に収めた。
かわいらしい花びら。
あまり強い太陽光を嫌う。玄関の薄暗い所に置かれている。
周囲の畑には雪がまだあり寒い1日。
今日は寒い。
適量の酒は新陳代謝によいという。1日量 1合 以下 だぞ!
しかし、飲み過ぎは体に毒。悪乗りして飲めば自分の身体はおかしくなる。
その事は理解している。死に至るのは承知。
しかし、飲みたいのに我慢しているとストレスをためてしまう。
少量を薬の様にいただくことにした。ほんの少々・・・。
酒が原因で健康を害した事を知っているにも関わらず、こちらが健康を回復したら またお歳暮に酒(菊水)を贈り届けてきた。
すべては自己責任だよ!
雪が降ってから、数日の間富士山がよく見える。部屋の窓から・・・。今の時期は最高だ。空気が澄んでいてよく見える。建物や電線に遮られても、その雄姿は素晴らしい。近くの空き地には富士塚がある。富士山信仰に関係があるらしい。毎日、刻々と姿を変え、見ているものに勇気を与えてくれる。
一昨年の2月に大町に旅行した、ちょうど出かける前の日に大雪が降り、車中雪景色が素敵であった。大町から見えるアルプスの姿が美しかった。車中に乗り込んできた、男が牛のたたきを食べながら、日本酒のワンカップを飲んでいた。独りでむしゃむしゃ食べて、30分ぐらい乗車して松本で降りて行った。その男の仕草が今でも思い出される。下あごが出ていて馬面だった。横顔を見て思わず微笑んでしまった。
旅館に近づくにつれて、山が迫ってきた。冬山の雄姿は迫力があり感動した。今、積雪がますます増して、険しい姿に変貌している事であろう。
やはり予想どおりの雪に、交通機関に麻痺が、・・・路面が凍結して路方は滑って危ない。2年前に友人の奥様が路方で転んで、複雑骨折をして大変だった。あの時は3月に転んで怪我をして、予後が悪く10月ごろやっと歩けるようになった。辛かったに違いない。この雪で大けがをした人もいるに違いない。このブログを読んでいられるあなたもお気をつけてください。
今夜は会合があり出かけるが、お酒は飲まない様にする。身体の為と、帰りに路方で転ばないためにも・・・。いつ何があっても不思議ではない。まさか・・・といった形で怪我をするなんて傍から見れば簡単だが当事者は本当に大変だ。つまらない事でつまらない思いをしない様に心がけること・・・。夕方の空は曇天で、屋根に雪が解けずにある。今日の夜は寒いぞ・・・。
今日の朝の予報では雪になるそうだ、午後になってから雨が降り路面を走る車の音がシーと聞こえる。今日の夜も「男はつらいよ」のDVDを見るか。この映画は昭和のロマンだ。主題歌も憶えた。「俺がいたんじゃ・・お嫁にゃいけぬ わかっちゃいるんだ妹よ・・・」
近くにレンタルDVD屋さんが出来たので、気楽に借りてきては見る事が出来る。4作続けて見たが、今日のはどんな内容であろうか?携帯の着メロも「男はつらいよ」にした。(*^_^*)
幼い自分の感性、女房にも子供にも 多分・・幼稚なお父さんなのだろう。窓の外のシュロの木の葉に白い薄化粧が・・・。とうとう降ってきた。朝路面が凍結するとまたスリップ事故が増えるに違いない。困ったものだ。この幼稚さを雪で覆い隠してくれまいか!
雪が降りその景色をみると、幼少の頃母に言われた事を思い出す。「江戸時代に新井白石という儒学者がいて、当時は貧しかったので、月明かりや雪明かりで学問をしたという。寒い日は布団を身体に巻きつけて学問をしたらしいよ・・・」そんな事を言われて、寒い夜に自分も布団を身体に巻いて、窓を開けて勉強した事がある。足元に湯たんぽを置いてその気になった。しんしんとふる雪の一つ一つに思い出が甦る。自分も人生の道を、だいぶ歩いて来たものだ。
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