数日前に、知人が言った。
「天皇、皇后両陛下が羽村の郷土博物館に来たの、私、いって来ました。歓迎する人で一杯だったわ、ほら、魚観荘て料亭あったでしょ、更地になっていたのよ・・・・。」
その事を聞いて、時間の有る日曜日の朝、車を走らせて羽村の河原へお散歩がてらでかけて行った。
朝日新聞に
天皇、皇后両陛下は31日午後、東京都羽村市の市郷土博物館を視察した。羽村に設けられた玉川上水取水口の水門や堰(せき)の実物大模型などが展示されている。皇居で養蚕を手がける皇后さまは、養蚕業が盛んだった羽村に残された養蚕用器具の展示を見て「ここには桑畑がいっぱいあったのかしらね」などと語った。
と書かれていた。
郷土博物館の前にあった料亭「魚観荘」の場所がさら地になっていた。
この名前を命名したのが父であった。そのお礼に浅草の人形町で作らせた弁慶の人形を贈られて、実家の応接間に飾られていたのを思い出した。跡地に老人介護施設か何かが出来る予定らしい。
堰堤を歩いてゆくと、頭上をリモコン飛行機が飛んで来た。7人ぐらいの人が遠くから操縦しているのが見えた。ヘリコプター、宇宙船みたいな飛行物、セスナ機などランダムに飛び交っていた。
フイルム写真を24枚撮ると、後は家内と上流の堰堤まで河原をあるいた。
堰、河原、月見草、野ばら、堤防近く伏流水が貯まった池に写る木の影、遠くに霞む山並、牛枠、アヒルなどを写した。現像があがりしだいアップする予定。
「時が流れた感じ、」と家内が一言。
小学校の頃、ここでキャンプを家内とそのお兄さん達とした。
朝、味噌汁を作っていたら、うっかり鍋をひっくり返してしまった。
困っている所へ、魚観荘のおばちゃんが味噌汁を作って持ってきていただいたのを覚えている。
あの親切で愛嬌のあったおばちゃんとおじちゃんが亡くなった後、魚観荘は続いて営業されていたが、今は既に無くなってしまった。
時が流れて、移り変わるのは世の常とは知りながら、何とも表現の出来ないものがある。
多摩川の流れは、堰き止められてゆったり、岸部にアヒルが羽根を広げたり身体を振るわせたりしている。
川鵜は人の気配を感じ取ると、慌てて逃げてゆく。ヒバリや鶯の鳴き声が盛んにしていた。
するぷろより投稿
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