2014年8月アーカイブ
テーマを「猊鼻渓舟下り」に変更しました。
川面に霧が立ち上り、なんとも幻想的な気分ですね・・・。遠くに「ひらた舟」が見えます。
一ノ関の厳美渓の宿 渓泉閣に泊まった時の事、
床の間の掛け軸に目が行ったが、言葉の意味がわからない。
「分かる人がいるから写真にとっておいて・・・」と家内が一言
旅行から帰って、いつも家内の行くCafe 「チャティーフォー」 に写真を持って行って
見せたら、博識あるオーナーが読んでくれた。
み遅の久の 深き山路に 天津日の 光り阿ふきし こ登者王寸れ春
8月9日、台風11号が接近中とあって天候には恵まれなかったが、一ノ関の自然は素晴らしいの一言であった。大きな橋にさしかかった時、北上川は川幅一杯の水で真っ黒だった。たぶん、猊鼻渓舟下りは無理だろうと思いながら、車を飛ばしていた。
猊鼻渓に着いてみると、砂鉄川の水量は舟下りが出来る状態であった。幸い、紙すき屋さんの駐車場に一台分の空きがあった。堰のある所に遊覧船乗り場があり、7,8艘の「ひらた舟」が浮かんでいた。たまたま、臨時便が出ていたので、到着するとすぐに乗船できた。猊鼻渓舟下りは発着所から遊覧船に乗り込み、三好ヶ丘まで行き、そこで折り返す往復90分の舟旅でした。往きに三好ヶ丘の船着場でおりて、大猊鼻岩の対岸まで歩いて行き、又船着場に戻り復路発着場所まで戻ってくるというもの。復路、船を自在に操る船頭が歌う「げいび追分」が対岸の岩に反響し、のどかで心安まるものがある。
猊鼻渓を後にして、厳美渓の渓仙閣に到着すると、チェックイン後すぐにカメラと三脚を持って厳美渓の遊歩道を歩いた。川の水窩さがまして濁っていたが、「空飛ぶだんご」―かっこうやの対岸の岩盤で、数枚の写真を撮影した。明治10年(1877年)には、明治天皇が東北巡幸の時に立ち寄った際、その地を御覧になったから名付けられたという「御覧場(ごらんば)橋」からも数枚撮影した。御覧場橋は吊り橋なので、歩くと橋が揺れて怖い。
次の日の朝、5時頃目が覚めた、早速朝の散歩に出かけた。昨日より水嵩が減る時間に行けば、少しは水が透明になると願ったが、やはり濁りが強い。散策して、天工橋付近と、長者橋の上から撮影した。
台風の影響で雨が降り続いたが、毛越寺、中尊寺は拝観者で賑わっていた。世界遺産ともなれば当然の事と思われる。毛越寺の池のたたずまいは筆舌に尽くしがたく、大きな蓮が在りし日を語りかけてくる様だ。創建時の伽藍は焼失てしまったが、廻廊の基壇、礎石、土塁などが遺されていて「歴史を回想する」にふさわしく情感があふれてくる。
中尊寺は想像した通りの混雑、駐車場もほぼ満車状態。雨の中を金色堂に向かった。中は人であふれている。今日は母の命日であることをふと思い出し、金色堂の中で極楽浄土におわす母に廻向した。独特のお香の臭いに早く出ることばかり考えていた。長距離ドライブの為か、身体が疲労し昨日飲んだ事もあって、鑑賞しようとする集中力が失せてしまった。一向に雨の止む気配がない。
中尊寺を後に、一路奥州市の水沢に向かい、ガラス館を探したが中々見つからなかった。その近くで昼食を取ろうと蕎麦屋に入ったが、注文している最中に携帯の地震速報がなった。一瞬、あの震災を思い出し、不安な気分になった。店の大きなテレビ画面には地震速報が流れた。震度は3程度、すぐに収まって安心した。
部屋の壁には巨人軍選手の写真や色紙などが沢山飾られていた。店主の息子さんが甲子園に行った時の写真や、巨人軍の選手と写っている写真アルバムを見せていただいた。蕎麦は大盛り、天ぷらも大盛りだ。素晴らしい「おもてなし」をしてくれた。店主がライオンズの中島選手が使っていたというバットを見せてくれた。体格の良い店主に、
「失礼ですけど、もしかしたら野球選手だったんですか?」と聞くと、
「ただの追っかけです。」
という返事が返ってきた。プロ野球選手だったんではないのかな?と思ったが、それ以上の詮索はしなかった。
その後に、ガラス館に行き、近くのお菓子屋でどら焼きを買った。
「東京から来たんですか?」店員の女性が話しかけてきた。
「今夜台風の影響で、厳美渓は増水しますかね?宿の目の前が磐井川なんでね・・・」
「あそこは昔から大丈夫ですよ・・・」と店の片隅から老婆が言った。
「おばあさんは、一ノ関からお嫁に来たのよね・・・」と店員が言った。店員は娘らしい。
お菓子片手に、最後の目的地である水沢の武家屋敷へ向かった。暫く留守家の武家屋敷にいたが、かなりの疲労に一ノ関に戻ることにした。近くに後藤新平の屋敷があったが今回は行かなかった。
渓泉閣の目の前を流れる磐井川は水嵩が増して、轟音を立て、すさまじい程の水しぶきを上げながら流れている。地鳴りのようにも聴こえて来る。今夜、台風が日本海を北上するらしい。帰りの運転を考えて、飲酒は控えめにした。
翌朝、濁流の磐井川を後にしてひたすら東北道を東京方面に向かった。出発してから8時間後ようやく自宅に帰り着いた。
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