今日から3月、寒さもだいぶ和らいできた。梅の花もだいぶ咲いている。昨日、羽村の堰に出かけたが、河原におりるところが通行止めになっていた。途中の道端にはマンサク、や紅梅が見事に咲いていた。昔妻の実家だった所の近くの大きなケヤキの木が上手に剪定されている。と言っても人が梯子をかけて届くような高さではない。自然に葉が落ちると程良い具合に形態が整っている。自然の植木屋さんが空中から剪定しているようだと感じる。
澤田哲郎画伯が妻の実家によく遊びに来たが、そんな折そのケヤキの木の周りに8人の子供と子供を背負った両親を描いている。大樹に子供達(1962)Sawada という色紙が 静岡県富士宮市に在住の熱心な澤田哲郎愛好家(澤田哲郎小泉記念室)の手によって発行された画集の中にある。
思えば48年前の事で、妻もまだ小学生の頃だと思う。妻の両親に連れられて中野のアトリエに行った。部屋の中に、粋な女性(澤田画伯の奥様)がいてペルシャ猫がたくさんいた。異様な臭いが鼻先に漂ってきた。油絵具と猫の臭いが混ざったような面白い臭い。アトリエにはキャンバスがうず高く積まれていた。あまり詳しく覚えていない。当時の記憶からすれば気味の悪い絵を書く人だと感じた。
しかし、今は違う・・・。人間の奥にある言葉には言い表せない表情をどの絵からも感じる事が出来る。
羽村の川で投網を打った澤田さん、禁漁区で投網を打ち警察に捕まった妻の父の事、警察で出されたカツ丼が美味しかったと得意そうに話した妻の父が懐かしく思い出される。
「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず・・・川面に浮かぶうたかたは・・・」方丈記の一節が浮かんでくる。過ぎ去った時代の片鱗をこの大ケヤキは見てきた事だろう。そして人々の生業も・・・。
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