ある老人病院で「息子が母親をベッドの上で殺して自分もナイフで腹を刺して自殺した。」と朝日新聞の記事にあったし、テレビでも放映していたらしい。そこには健康になって娑婆世界に戻る事がほとんど無理な病人が入院している所。言葉にならない言葉を語り。聞こえない言葉を喋り。意志の疎通を欠く人間関係の場所。背中から涙がとめどなく流れる様な悲しい所。諦めながら介護し、じっと何もできずに見送るような現場。そんな所でとうとう絶望して親を殺して自分も死んだのだね。悲しい、実に寂しい事件だね。
聞くところによるとその病院は、私の父親が鬱血性心不全、慢性腎不全で数カ月お世話になったあの老人病院。毎日のように、父の様子を見るために仕事が終わると面会に飛んで行った病院だ。私の父も見ていると日ごとに衰退していく、長いなだらかな坂道を下って行くように父の身体は衰退していく。とうとう父が耐えきれなくなり、退院させた。家に帰ってからも仕事復帰を口にした父 親。しかし、衰退は止まらない。そして自宅で1年半後に同じ系列の老人病院に再入院して死去した。桜の花が散るように人知れずどこかに父は散って行った。大往生と方丈さんに言われた。
母を刺殺し、自分も自殺した親子はどんなに辛い日々をおくった事だろうか、死んで楽になれたのだろうか。あの世とやらで、色々現世の生業を聞かれて、裁判にかけられているのかもしれない。生き地獄より、死んだ先の地獄は厳格なる拷問が待っているらしい。そこで、自殺した事を悔いる魂があると聞く。自殺者は二度と生まれ変わる事が出来ないループの中に入り何万億年、いや無限時間出られないと聞く。多くの日本の仏教壁画や、経文などにも書かれている。これは事実で虚像「バーチャル」ではない。その光景は見える人には見えるらしい。どんな事をしても生を断ってはだめだ。死のうと思わなくても必ず人は死ねる(転生)のだから、最後まで生を守り抜かなければ駄目だ。神様から与えられた命を自らの手で断ってはだめだ。絶体絶命の淵からでも回帰出来る場合もあり、人生また楽しからず也、と思う事が出来る日も必ずある。辛くても生ある限り生きて欲しかった。一秒一刻が命。激生!!
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