常に身体を最善の状態にチューニングしながら次のショットに準備する姿に、「やはりプロは真剣に備えている、昼食時に飲み食いをしてプレーするアマチュアとは全然違う。」と感心させられた。一流には一流の努力と堅実な運動や学問の蓄積といった要素が必要と思われ、その事を実践しているプロゴルファーは偉大だ。トーナメントプロとしての生きざまに出合えて意義ある今を生きた気がした。一つ間違えば賞金から見放され、失意のどん底に落ちて行く世界、一見恰好はいいが、一握りのプロしか生き残れない世界だからこそ必死で戦場を生き抜く精神の頑強さがうかがえる。石川遼選手も転戦され、最初のトーナメントで優勝したころとは違い、険しい人相に豹変した。正しく、真の侍を思わせた。勝負の世界は本物を作る。妥協のない世界だ。真摯に生きるプロの横顔に一所懸命を感じた。
今まで出会ったプロは数人いたが、常にアマチュアを教えるときとか、一所にラウンドしてレッスンしてもらうなどで顔には笑みがこぼれていた。今回のようにプロだけで争う勝負の顏を身近で見る事は無かった。会話や息づかいをこんな近くで見た事は無かった。全くすきのない選手が上にくる、しかも地道な努力を積み重ね、実力を出し切れた選手が優勝する現実を。これは是非学ばなければと思った。
2010年5月アーカイブ
昨日、明日はゴルフトーナメント観戦と思い、よく寝つかれなかった。近くの狭山コルフ・クラブにダイアモンドカップゴルフ2010 の観戦に出かけた。午前9時少し前に到着して、スタートホールの近くを通りかかった。9時10分から石川遼選手のスタートとあって多くのギャラリーがティーグランドをとり囲んでいた。その一団が石川遼選手の組とともに移動して行った。2打地点での各選手のショットを見てから、そのホールのグリーン近くに移動した。しばらくグリーン周りのショットを見学していた。最終組がやって来たが、石川選手ととともにギャラリーのほとんどが行ってしまい、特等席で他の選手のショットの光景を見る事が出来た。トーナメント独特の緊張感と魔術に似たプロのテクニックに堪能する事が出来た。そこから、次のホールのティに移動した。まじかで見るドライバーショットも迫力抜群。細かい仕草や会話などが聞こえてくる。12時近くから、反対側の14番ホールの2打地点でショットを観戦、さらにそのグリーンのピンの真横に進んだ。丸山選手がバーディを奪って行った。しばらくして石川選手の組が到着する少し前から多くのギャラリーがどこともなく集まり、パッティンググリーンを囲んだ。ビデオカメラが移動してきた。まじかで2.2フィートの速さのパッティングを見ていた。球が転がりさらにスーッと伸びる。口の中にカレーパンを押し込みゆっくり噛みながら見ていた。
最後に16番のショートホールに行きティショットに入るプロの構えるしぐさ(ルーチーン)を見つめていた。「なるほど・・・」と納得できるヒントがたくさんあった。自分もゴルフをするので参考になる動作やショットの間の取り方など、筆舌に尽くせないほど感動した。アマチュアにも参考になるゴルフの考え方、エチケットなどがよく理解できた。本物を真じかで見る事が出来て今日は最高であった。テレビやビデオで見るのと違い、肌で実感できる所がいい。金庚泰(キム・キョンテ)選手が逃げ切りツアー初勝利! 石川遼選手は32位タイであった。今日のゴルフ番組を録画しておいた。実際、現場に訪れた後なので、見入ってしまう。画面で見ると美しさが増すものだと思った。
朝起きて身体の痒みが治まってきた。やれやれ、とんだマンゴー・・・。経験して初めてわかる事だ。自分の身体が嫌がっているのに、食欲は増す。この矛盾。面白い事だ。しかし、痒さは半端でない。コレステロールに注意と言われて、コレステロールを多く含む食品を避けていたら、やたらと甘いものが増えて、今度は尿酸値が限界水域、その結果野菜と果物が増えてしまった。そして何時もならリンゴかオレンジで済ませるところが、高価なマンゴーにまで手か伸びた。その結果ウルシ科の植物とは知らずに、皮をむいて得意になり食べたら、アレルギー反応が強くでた。食事コントロールの難しさ、行きすぎに注意しろという事だ。ひとまずマンゴーの話題はこれで終焉だ。
朝、茶の間に行くと、娘が弁当の支度をしていた。「お父さん、抗ヒスタミン薬飲んでおいたら」と薬をいただいた。娘は耳鼻科にかかり、抗アレルギー薬を沢山持っていた。最近症状が軽くなり、薬が不必要になってきたようだ。早速、薬を飲んだ。30分ぐらいしたら顔や○○部分の痒みが少しずつ軽くなった。本来なら医者にかかり診断してもらってからでないといけない事はわかっている。あまり薬を飲む事は好きではないが、少しでも痒みがおさまればと思い服用した。すべて自己責任。マンゴーは好きだが、今後は食べられなくなる。残念なことである。
何年か前に、フキノトウでアレルギーが出た人がいたが、大変な思いをさせてしまった。友人からいただいた旬のフキノトウ。さしあげた家族が天婦羅にして全員食べたが、一人の人にアレルギー症状が出て病院に入院した。食文化、食文化と新聞やテレビで報道されて久しいが、世の中色々の食品があり、人によっては合わないものがあるかもしれない。ウルシにはかぶれないと家内は言っていた。うらやましい。パインアップルで口の中がしびれる人や、エビで口がしびれる友達もいる。まさか、マンゴーアレルギーとはね・・・。
今までにも気がついていたが、マンゴーを食べると口の周りがこわばって、痒くなった事がしばしばあった。あまり気にしていなかったが、過去にも一度かぶれた様な顔になった事があった。その後あまり食べなかったが、食べる毎に何か変だなと思いはじめていた。2日前にマンゴーを170g位美味しく食べた。今日は顔がかぶれて少し腫れたような感じですごく痒い。これは明らかにマンゴーアレルギーだとわかった。マンゴーはウルシ科の植物だそうだ。子供の頃にウルシによくかぶれたが、その時と同じ痒さが顔と男性君の周りにある。・・・・いやー日焼けかと思っていたが、顔の痒さはマンゴーアレルギーが原因だ。様子を見てひどくなるようだったら皮膚科に行くようかな?ああムジムジ痒い・・・・。
或る日のことだった。いつの間にか実家の茶の間に座っていた、そこには既に死んだはずの父と母がいた。母は黙ってお茶を入れてさしだすと黙って台所に入って行った。いつしか父親に向かって色々文句を言っていた。数分間色々文句を言ったが、父親は黙ってこちらを見ていた。何も言わず表情を変えずに聞いていた。やがて、両親がこの世にいない事を自分の中で自覚し、「お母さん・・・」と呼びかけ台所の方を見ると母の姿は消えて無かった。そして、ふり向くと父の姿も消えていた。と、その瞬間自分の身体がくねくねとうず巻き、座っていた畳の床が抜けて、下に向かって急速に落ちて行った。自分で身体を制御できないほど自由が利かない。このままいけば底に落ち、衝撃で死んでしまうと思った。ドドーンと身体が床にたたきつけられた。大空から落ちてきたような感じがした。身体に衝撃が残ったまま、ベッドの上で弾んだ感触、目が覚めると朝日がまぶしかった。ここは現在住んでいる自分の家である。しばらく天井の電球を見上げながら、夢の一部始終を反芻していた。心の中に、父親に文句を言った自分の愚行に、申し訳ない事を言ったものだとつくづく反省し、父母に感謝した。
時々、母はよく夢の中に出てくる、夢の中で死んだ事を忘れて色々と話をするが、何時も「あれ、死んだはずなのに ここにいるのお母さん・・・」と語りかけると瞬時に母の姿は消えてしまう。この種類の夢を何度となく見る事がある。お墓参りや、法要はきちんとしているのになぜか不思議になる。きっとあの世に行っても息子が心配なのかもしれない。親に心配をかけない様に人生を生きる事が自分の課題とつくづく思った。しかし、今は家内に心配をかけているのだが(*^_^*)、昨日と今日と夢物語を書いてしまった。
いつもプレーするゴルフ場のパッティンググリーンの上で熱心に練習をしている人がいた。黙々と練習に励んでいる。こんな時間に練習する人などいないはずなのに。少し近づいてみると結構年配の人であった。不思議に思い、どんな顔をしているのだろうと思い近づいてみた。
「熱心ですね・・・。」と声をかけて見るともなくその人の顏を見上げた。相手の目もこちらをみている。ずいぶんと年老いた人だな、そんなに熱心に練習してどうするつもりなのだろう?・・・・・・。あれ、どこかで見た顔だなと困惑しながらよく見つめて見ると、何を隠そうその顔は自分の顔にうり二つではないか。ハッとして驚いて見ていると、なんとその顔の中にまるで孫悟空が瓢箪の中に吸い込まれるように、身体が吸い込まれてしまった。
気がつくと、時間は朝の5時を少し回ったころであった。朝日が少しずつ部屋にさし込みはじめていた。夢か?・・・、自分が傍から見れば、こんな老人に見えているのかもしれない。その事を夢が教えてくれたのかもしれない。
昨日、ゴルフの練習に出かけたらインストラクターが話しかけてきた。「ストレートばかりでなくスライスを打ってみてください。」しばらく打っていると今度は「フックを打ってみてください」と言った。両方打つ事で正反対の球筋を打つ動作が身につく。本来自分の癖はどっちかといえばフック系なので、同じ練習をしすぎるとフックが強くなりすぎてしまう。その為に身体のコントロールが出来なくなり深みにはまり、練習をすればするほどおかしくなる。「行き過ぎ」てしまうのだ。そこで正反対のイメージで球を打つ事で自分の習性を把握する。両方の球筋が打てたら今度はストレートの球筋を打つとよい結果が得られるというのである。
ところでAJボナー(ゴルフのテーチングプロ)のAJ REVEALS THE TRUTH ABOUT GOLF(DVD) のThe Truth About The Driver,Parts 1 & 2で一般のゴルファーの上達段階には3つのステージがあり,ステージ1 スライサー 、ステージ2 フッカー 、ステージ3 、フェースをリリースしてフックボールを打たない者と説明している。誰しもたどる通り道だそうだ。
4,5年前からAJ打法をとりいれて練習しているが、練習の効果が上がりスコアーもラウンド回数は少ない割にはよくなった。AJのDVDは日本では現在売られていないため、インターネットでアメリカから買う事が出来る。このDVDではリストターンを主体に説明がなされていてゴルフはスウイングではなく、如何にクラブという2つのテコを持つ道具を使いこなすかと説明している。現在のスウイング理論とは間逆の理論。最近、ボディターンが主体でリストターンは注目されない。しかし、練習を重ねるにつれ、知らない人がみるとゴルフスウイングになってしまうのだ。しかも上級者に見えてくる。球筋も・・・、これは謎・・・Truth About Golf…なのだ。
インストラクターの目にもAJ打法は見抜けなかったようだ。何も言わなかった。手品の種を自分だけが知っていて、何食わぬ顔をしてボールを打つ・・・心のどこかに楽しさと誇らしげな陽気さが漂っていた
今日は一日雨が激しい。テレビでは鳩山首相が沖縄を訪問して基地を県外にと公約したが出来ずに陳謝している映像が流れていた。アメリカ政府と民主党の間の普天間基地キャンプシュラブ移設案を容認した事の様だ。これから先沖縄県民と政府との間に軋轢が生じるだろう。今後、対立が激しくなり、基地移設問題が重大な問題へと展開する見通しだ。沖縄の民意はかきむしられた。本土と沖縄といった対立が起こらなければいいのだが、そこには極東の抑止力の要としての沖縄・・・の顔がある。
一方、宮崎では口蹄疫の問題が深刻な様相を呈してきた。農家の人達のご苦労も大変なことだと思う。現状に負けないで是非乗り越えて欲しいと切願する。頑張ってください。ウイルスの為に多くの命が失われるのが辛いし悲しい。しかし、感染防止の策、これでいいのだろうか?
情熱、熱情、赤に秘められた感情。恋の色は赤いバラに喩えられる。もえる様な恋をして灼熱の太陽の下で愛し合い抱きしめあう事など自分の人生には無縁の事。バラが赤くても別に何も感じない。唯、赤いな・・・。と思うだけ。すっかり老境に入った作今。娘がタイフェスに出かけた様子をとあるBlogで読ませていただいた。若いという事は情熱を感じる。その行動の仕方自体がまさに真っ赤な色合い。このバラがお似合いかも。これからもえる様な恋をして、失恋して蹉跌を味あうであろうが、・・・まさに一度しかない人生の瞬であろう。全員が食べ過ぎ、飲み過ぎて下痢をしたらしいが、微笑ましい。(*^_^*)いいんじゃない。それで・・・。恋のスクランブル交差点で傍を意識しながら通りすぎて行く青春に、爺はエールを送りたい。・・・・・・・エールの言葉は想像してください。
1昨年前に伸びすぎたシャクナゲを枝から切った。昨年は花芽をつけなかったが、今年は切り口の断面から葉が出てそこに花芽が集中した。時々訪れる私たちを待っているかのように咲き誇った。2年間徐々に成長した。剪定した時にはかなりのダメージを受けたに相違ない。元気な花芽に安心した。
剪定・・・良い事なのだろうか?植物に怪我をさせる事はよろしくないが、枝が相手の木の成長を妨げ、しいては自分自身の木も枯れてしまう。狭い庭木の運命ははかない。しかし、正直に時期が来れば花芽をつけ、精一杯咲き誇る。・・・この花をみていると、深い悲しみと感動と深甚の感謝の念が心に生まれる。母の好きだった花・・・それはシャクナゲ・・・。母の面影とともに・・・。
夕食後ワインを100ml飲んだ。お上品に50mlずつ2回に分けて飲んだ。NHKのニュース9を見ていたが、猛烈な睡魔に襲われてソファーで熟睡。ニュースの終わりごろに目が覚めた。盛岡の岩手山に昨日雪が降り、桜の花が咲いている映像が映し出された。昨日からのいやな疲労が消えてスッキリした感覚になった。
しばらくして熱いシャワーを浴びてblogを書きはじめた。今日は山の影が青紫色で空が不気味に美しかった。何か気象の異変でもありそうな雰囲気と仕事帰りの娘がいった。家内は帽子作りに励んでいる。よほど帽子が気にいったらしい。今日は実家の草とりに出かけたのに疲れていないのだろうか。一杯のワインは私にとっての睡眠導入剤だ。
久しぶりに圏央道で八王子に出かけた。少し寒いせいか空気が澄みきり、富士山がはっきり見えた。周囲の山も絶妙な色彩・・・。今日は八王子のとあるコースでのラウンド。かなりアップダウンがきつく、グリーンの速さに悩まされた。ショットはまあまあ、しかし、パットが冴えない。スコアーはほどほどで満足はしたが、最後にOBを打ち、風呂からあがりコンペのパーティの最中に眠気がさした。
家に帰ってきてからも、疲労困憊。へとへとに疲れた。仲間の一人が痛風の発作が出て、やっと出かけてきたと言っていた。もう一人は朝ハウスで血圧計に腕を入れて上が186で下が110だと言って騒いでいた。危険な数値だともいえず。今日は興奮しているからじゃないと言ったが、自分が2年前に眼底出血した際の数値だよと友達に話した。彼とは一緒にラウンドしたが、ラウンド終了後に再度測った時も164/98で高かった。少し心配になった。高齢化は健康そうに見えても、潜在する疾患が見え隠れする。痛風の彼は全然食事制限などしていないと言っていた。
あまり疲れたのでチョコレートを食べた。1時間ぐらしたら、身体が楽になった。
今日は少し気温が下がった。すごしやすく快適な気温。これから先梅雨に入るが今の時期は紫外線が強いらしい。外出の際は皮膚をガードする必要がありそうだ。
朝日新聞の記事に、ある党からから柔道のオリンピック金メダリストが参院に出馬するとあった。これは知名度を狙った票欲しさの策略か。それともどこに政治に有益性があると言いたいのか、柔道の気合が政治や経済の諸問題を投げ飛ばせるのであろうか?著名人は何をさせてもきっとサラブレッドなのだろうか?期待する一方で単純に賛成しかねる事もあろうかと思う者は、蒼い凝り人でなくても考える事だろうと思う。
普天間基地の問題も、難局にさしかかった。民意、民意といいながら県外移設は単純に解決しようにない問題だと思うし、灰色の限りなく黒に近い人の采配にこの国の将来を任せるシステムでは混乱に落ち込む事は間違えない事だろう。平成の終焉が見え隠れする今日この頃である。
戦後未だにアメリカの傘の下にいながら、あたかも自分たちが独立国に住んでいる様な錯覚、今日も近くのアメリカ空軍の基地からは飛行機や戦闘機が離着陸する現実がある。基地の経費は一部、国民の税金で運営されている。アメリカの経済的奴隷国家、それが日本。慢性化した敗戦の延長。外資により次から次へと日本買いが行われ、虫食いのチーズ状態の日本の資産、そこには多額の負債という乞食に似たムシロを背負わされた国民の姿がある。
しかし、日本民族は侵略民族では決してない。優れた自由人なはずだ。もっと自由に生活を享受するべき時なのに、時代が進歩しても一向に変わらない貧困の歴史が展開する。
急に蒸し暑い、身体がついていかない。連休が終わり、仕事が始まった。病院帰りの人が
「今日も病院は混んでいた。何十年かぶりに会った人がいた、やんなっちゃうよ・・・年とりたくないな・・・」
とこぼしていた。
又、酸素マスクをしながら今日は特に体調が悪くどうしようもないほどだるいと言っていた人もいた。
季節の変わり目は怖い、何年間か会わなかった人がいつの間にか病気になり、こんな姿に・・・。
今が旬と常に気望に燃えて生きるしかないかな。と言っているご本人も3日前から腰の筋を痛めて、立ち上がる時に痛む。インダメタシン入りの軟膏を患部に塗った。少し楽になってきたようだ。しかし、この暑さは半端ではない。
健康に生きる事が一番尊いな。!さてその方法は・・・それは個人差があり定説など存在しない。参考になる本や情報もあるが、すべて当てはまるとは限らないから、むずかしい。本人の体質に合わせた健康法を自分なりに決めるしかないかな・・・。
09:11:08 今日は実家のシラカシを伐採する。6時に起きて住吉神社に行き、お祈りをした。長年敷地の西北にあり生活を伴にした木。大きくなりすぎて隣家に迷惑がかかりそうな状態になってしまった。木の周囲にお神酒をまき、塩で清めた。根は残すので、また生えてくる。生き物を痛めつけるのは心苦しいが、仕方のないことである。この木が植えられてから何十年経ったのかは知らない。植木屋さんが後で「木の切り株を見てください」と電話で言っていた。年輪を見ればわかるだろう。
帰り道、マクドナルドでホットケーキとフィレオフイッシュとコーヒーをドライブスルーしてきた。紙袋をあける際に、コーヒーをこぼしてしまった。コーヒーを沸かしてもらった。
実家の周辺の道路は、祭りの跡片付けが済んでいず、紙くずがお店のシャッター付近に風に飛ばされて散乱し見事に汚かった。祭の見物客が捨て去っていった紙くずやビニール袋などたくさん散らばっていた。マナーのない人たちの通り過ぎたあとには、必ずといっていいくらいゴミの山ができる。実家のもみじの植え込みの中にも空き缶が投げ込まれていた。いささか寂しい気がする。
いかに世の中が便利になり、しかも分別ゴミの回収がされていても、自覚しない人たちは平気でゴミを捨てる。祭りや、イベントといったときには特例が認められたわけではなく、モラルはモラルだ。
大きく様変わりしたスーパーの脇を歩くと、路方に花ミズキが植えられていた。道端から曇天を見上げた。白の花弁をつけたものと薄いピンク色の花弁を無数つけた木があった。
通行人もまだ少ない。二、三人の人が早足で歩き去った。遠くから家内が早足で歩いてくるのが見えた。散歩の後の朝食のコーヒーは格別。昨日の仕事の疲れが残っている。昨日は午後が忙しく、1時から始めて気がついたら5時近かった。連休中は暇かと思っていたら、意外だった。
写真を感じさせない写真が撮りたい。語りかけてくるような情景が画面から湧出するような、形式とか、撮り方とかうんぬんではなくて・・・。10年早いかな・・・。今はまだ何も考えずにシャッターを押すだけさ・・・。
でも、今の写真機はとつくづく便利だと思う。自分が子供の頃はフラッシュがまだマグネシュームの時代。写真屋さんのお部屋はバと光った後、面白い臭いが部屋中にした。あの光が子供心に怖かった。懐かしいと思う人もいるだろうな・・・、いるとしたら長寿高齢者だな””(^0_0^)
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