2011年7月アーカイブ
訪れた人に贈る叙情歌
送電線を見上げて
月見草(まだ日が高いので咲いていない)
川面(下流に向かう)
ブッドレア(フジウツギ)
今も健在、大きな岩その表面に草が生えて
カンゾウが道端に
多摩川(中流域)の河原にはニセアカシアなどの灌木や多くの雑草が多く生息している。40,50年前の河原はこんな情景ではなかった。玉砂利が多くあり白い河原が広がっていた。川底の玉砂利は採石されて、都会のビルの資材として盛んに使われた。その結果、何時しか川底の粘土層が露出してしまった。上流の小河内ダムが完成すると、多摩川の水温が下がり冷水の川になり、魚がいなくなってしまった。川の中を見れば、アユ、ウグイ、オイカワ、ヤマメ、ウナギ、大きなナマズなどもいたが、今では魚影を見る事がほとんどなくなった。鮎釣りをしている人を1時間ぐらい見ていたが、一匹も釣れないでいる。変わり果てたものだ。
しかし、悠然と細やかに空の色彩を映し出して流れゆく様は、今も昔も変わらない。じーとして眺めていると、時代を超えて語りかけてくる瀬音に何時しか耳を澄ませている自分にふと気がつく。空をハヤブサが飛び去り、そのあとをシラサギが舞い、セキレイがニセアカシアの木に行き交う。そして、水面にきらきらと光線が錯綜する。
やはり、ここは故郷(ふるさと)の川だ。ここで、命を得て知らず知らずに鋭気が身体に満ち満ちてくる実感がある。流れゆく歳月と今まさに流れゆく水の精が重なり幾重にも回想する過去がよみがえる。そして、明日に向かって生きようとする自らの胎動を感じざるを得ないものである。多摩川の水を飲料水として生きてきた喜びをしみじみ感じている。多摩川よ、また来るからね。
アナログ放送が終わりデジタル放送に切り替わった。子供の頃に、初めて白黒画面のテレビを見たのは町の公民館であった。当時、何軒かのお金持ちの家にはテレビがあり、近所の人たちがテレビ見せて下さいと言って行ったものだ。私も午後6時ごろからテレビを見に出かけたものだ。
よく近所の人たちが「テレビジューン」と言っていたが、それは「テレビジョン」の事であり正確な発音ではなかった。今までテレビなど見たことがないのだから仕方がない事だ。それから2,3年後に我が家にもテレビが入った。
当時見た番組と言えば「月光仮面」、同じ町内には唐草模様の風呂敷をかぶりプラスティックのサングラスをした豆月光仮面が大勢いた。スーパーカブというオートバイには乗れないので、豆月光仮面の集団が自転車に乗り畑の中で我こそは月光仮面と自負して、「トオー・・・サタンめ・・・」などと遊んでいた。全員が主人公になりきり、悪役を誰もしたがらなかった。
テレビが普及するまでは、紙芝居が路地の空き地に来ては盛んに人だかりがしていたが、テレビが紙芝居に変わった。弁士つき静止画像劇場から音声の伴う動画(番組)へと時代は変遷した。紙芝居屋さんの太鼓が響けば、どこからともなく子供たちが集まり、水あめを買って紙芝居を見た頃の遠いい記憶が頭のどこか片隅にある。そんな事を考えながら鉢植えの「トラディスカンティア」を眺めていた。斑入りの葉っぱと語らうひと時がそこにあった。
迷走した台風が去った後、むし暑さが戻ってきた。裏の畑はブルーベリーが次第に色づき、それに呼応するかのように野鳥が集まって来た。お宝頂戴と言わんばかりの傍若無人さ。毎日のように畑の持ち主が、ブルーベリーを摘みに来るが、少し目を離せば鳥が電線から畑に急降下、めちゃくちゃに食いあらず。
一部にマナーなどどこにもない最近の世相に似ているとつくづく呆れる。自分たちの行動も神様から見れば、意外と目に余るものなのかもしれない。この世に生きるとは、決して人間が偉いわけではなく、自然を破壊しながら文化を営み続けた人の罪は決して否定することなどできまい。人間、この非なるものと鳥たちが語っているのかもしれない。
台所に見慣れないものが置いてあった。苔玉だ。何時の間にか我が家の仲間入りをした。細かい花芽がついている。部屋の空気を和らげる癒しのオーラーを感じる。
花の名前は たんなちだけさし(丹那乳茸刺) ユキノシタ科 という。
昨日の夕方に、突然電話が鳴った。京都のお兄さんからだ・・・。
「今どこにいるの・・・」と家内が呼応。
「家の前・・・」
「・・・・。」
京都を11時に出て5時に我が寓へ、お野菜を沢山持参・・。比較的高速道路が空いていたので早かった。途中、お墓参りも済ませてきたという。
夕飯には早速、新鮮な野菜にかぶりついた。「おいしい・・・。」甘みがあっておいしかった。そう、寓という字が話題になった。昔、生まれ育った村に寓さんという人の家があった。その人名前は他にあったが、家の表札に〇〇寓と書かれていた。寓という字が名前だと思い、村人たちは寓さん、寓さんというようになった。寓とは「自分の住まいをへりくだっていう語」とお兄さんが話していた。寓さんは芸大を出たインテリの絵描きさんで村人たちに慕われていたと母から聞かされた事がある。当時、寓などという言葉は珍しかったのかもしれない。寓さんは家内の母の親戚だった・・・(^u^)。
今日は突然咲いたカサブランカを撮りました。28-75mmに2倍のクローズアップレンズをつけた。真夏のイメージかな・・・?
このところむし暑くなった。今日は全国で水の事故が多いとNHKのニュースで聞いた。アグファ カラートのカメラを手にしてから、フイルムカメラに対する愛着が湧いた。先週の日曜日に吉祥寺に出かけてフジフイルムの中判カメラを見てきた。マミヤ、ハッセルブラッドの新品がショウウインドーに輝いていた。ペンタックス645Dもあったが高額で手が出ない。帰ってから、フジフイルムのカタログを隅から隅まで読んだ。6x6、6x7か でも、たぶん買わないな・・・・・。
最近の悩みはデジタル写真のピントがよく合わない事だ。コンパクトカメラの映像はよくピントが合うが、デジタル一眼レフは甘くなる。如何なものか?最近も、アメリカ(Adorama Camera)からレンズを個人輸入した。とにかく、日本の半額。円高差益だ。しかし、これもデジタル。いままで、デジタル写真を撮り続けてきたが、やっぱりフイルムの良さにはかなわないと思うようになった。
先週の日曜日、吉祥寺に行く前に、知り合いの山岳写真展に出かけた。その人は全日本山岳写真協会の会員で、今回個展の案内の葉書をいただいた。展示写真はそれぞれの味があり素晴らしかった。すべて、ペンタックス645で撮影されていた。その方から山稜2010全日本山岳写真集という本をいただいたが、開いてみるとそれは素晴らしい写真であふれていた。ほとんどが、中判か、大判カメラで撮影されていた。
以前、このブログに使われていたカメラの種類を書いた事がある。ペンタックス ニコン マミヤ キャノン ハッセルブラッド フジ ブロニカ リンホフテヒニカ の順であった。兎に角、ペンタックスの中判が一番多い。映像で見るには、デジタルは派手で迫力があるが、じっくり見るにはフイルム写真かもしれない。
今日の写真はデジタル一眼の写真です。ナツツバキ、とフローレンスベコニア
近い将来に、6x6の写真を掲載してみたいものだ。しかし、まだ、色々勉強中だ。本当にカメラ小僧になってしまった。
最近のコメント