ハッセルブラッドの最近の記事
日の出前は Cold branch
狭山茶の 植えたる畑 霜枯れて
吐く息白し 指先痛たむ
8月9日、台風11号が接近中とあって天候には恵まれなかったが、一ノ関の自然は素晴らしいの一言であった。大きな橋にさしかかった時、北上川は川幅一杯の水で真っ黒だった。たぶん、猊鼻渓舟下りは無理だろうと思いながら、車を飛ばしていた。
猊鼻渓に着いてみると、砂鉄川の水量は舟下りが出来る状態であった。幸い、紙すき屋さんの駐車場に一台分の空きがあった。堰のある所に遊覧船乗り場があり、7,8艘の「ひらた舟」が浮かんでいた。たまたま、臨時便が出ていたので、到着するとすぐに乗船できた。猊鼻渓舟下りは発着所から遊覧船に乗り込み、三好ヶ丘まで行き、そこで折り返す往復90分の舟旅でした。往きに三好ヶ丘の船着場でおりて、大猊鼻岩の対岸まで歩いて行き、又船着場に戻り復路発着場所まで戻ってくるというもの。復路、船を自在に操る船頭が歌う「げいび追分」が対岸の岩に反響し、のどかで心安まるものがある。
猊鼻渓を後にして、厳美渓の渓仙閣に到着すると、チェックイン後すぐにカメラと三脚を持って厳美渓の遊歩道を歩いた。川の水窩さがまして濁っていたが、「空飛ぶだんご」―かっこうやの対岸の岩盤で、数枚の写真を撮影した。明治10年(1877年)には、明治天皇が東北巡幸の時に立ち寄った際、その地を御覧になったから名付けられたという「御覧場(ごらんば)橋」からも数枚撮影した。御覧場橋は吊り橋なので、歩くと橋が揺れて怖い。
次の日の朝、5時頃目が覚めた、早速朝の散歩に出かけた。昨日より水嵩が減る時間に行けば、少しは水が透明になると願ったが、やはり濁りが強い。散策して、天工橋付近と、長者橋の上から撮影した。
台風の影響で雨が降り続いたが、毛越寺、中尊寺は拝観者で賑わっていた。世界遺産ともなれば当然の事と思われる。毛越寺の池のたたずまいは筆舌に尽くしがたく、大きな蓮が在りし日を語りかけてくる様だ。創建時の伽藍は焼失てしまったが、廻廊の基壇、礎石、土塁などが遺されていて「歴史を回想する」にふさわしく情感があふれてくる。
中尊寺は想像した通りの混雑、駐車場もほぼ満車状態。雨の中を金色堂に向かった。中は人であふれている。今日は母の命日であることをふと思い出し、金色堂の中で極楽浄土におわす母に廻向した。独特のお香の臭いに早く出ることばかり考えていた。長距離ドライブの為か、身体が疲労し昨日飲んだ事もあって、鑑賞しようとする集中力が失せてしまった。一向に雨の止む気配がない。
中尊寺を後に、一路奥州市の水沢に向かい、ガラス館を探したが中々見つからなかった。その近くで昼食を取ろうと蕎麦屋に入ったが、注文している最中に携帯の地震速報がなった。一瞬、あの震災を思い出し、不安な気分になった。店の大きなテレビ画面には地震速報が流れた。震度は3程度、すぐに収まって安心した。
部屋の壁には巨人軍選手の写真や色紙などが沢山飾られていた。店主の息子さんが甲子園に行った時の写真や、巨人軍の選手と写っている写真アルバムを見せていただいた。蕎麦は大盛り、天ぷらも大盛りだ。素晴らしい「おもてなし」をしてくれた。店主がライオンズの中島選手が使っていたというバットを見せてくれた。体格の良い店主に、
「失礼ですけど、もしかしたら野球選手だったんですか?」と聞くと、
「ただの追っかけです。」
という返事が返ってきた。プロ野球選手だったんではないのかな?と思ったが、それ以上の詮索はしなかった。
その後に、ガラス館に行き、近くのお菓子屋でどら焼きを買った。
「東京から来たんですか?」店員の女性が話しかけてきた。
「今夜台風の影響で、厳美渓は増水しますかね?宿の目の前が磐井川なんでね・・・」
「あそこは昔から大丈夫ですよ・・・」と店の片隅から老婆が言った。
「おばあさんは、一ノ関からお嫁に来たのよね・・・」と店員が言った。店員は娘らしい。
お菓子片手に、最後の目的地である水沢の武家屋敷へ向かった。暫く留守家の武家屋敷にいたが、かなりの疲労に一ノ関に戻ることにした。近くに後藤新平の屋敷があったが今回は行かなかった。
渓泉閣の目の前を流れる磐井川は水嵩が増して、轟音を立て、すさまじい程の水しぶきを上げながら流れている。地鳴りのようにも聴こえて来る。今夜、台風が日本海を北上するらしい。帰りの運転を考えて、飲酒は控えめにした。
翌朝、濁流の磐井川を後にしてひたすら東北道を東京方面に向かった。出発してから8時間後ようやく自宅に帰り着いた。
♪
世界遺産と聞いて富士山を目指すわけではなく、
昔から人気の山、それは富士山
河口湖インターを出る頃は、大雨洪水警報が出ていた。
「帰ろうよ・・・」と家内が一言。雨が激しく降りはじめた。
ほうとうで有名な”小作”へ立ち寄り腹ごしらえ。
「富士山はきっと晴れる」
「無理よ・・・!」
「それなら、晴れさせて見せるよ2時間後に・・・」
心で、”カム晴れさせたまえ・・・・ナンチャラカンチャラ・・・”と霧が晴れる様をイメージした。
漫画みたいに・・・。
食事が終わる頃には雨がやんだ・・・。
いつものチーズケーキ屋さんへ行ってから大石公園へ向った。
風が強く、雲が流れはじめている。
大勢の人が公園にはいた、ラベンダーが見事に咲き誇っていた。
蒸し暑くなってきた・・・。
ほんの数分であったが、富士山は姿を現した。
公園にいた人達が一斉にカメラを富士山に向けている。
世界遺産に登録されてから初めて対面した。
神様は願いを叶えてくれたようだ・・・。
昔どこかで出会ったローソク
昔どこかで見た器の模様
昔どこかで飲んだワイングラス
どこかレトロな面持ちを・・・
鏡池からみた戸隠の山々、天の岩戸が飛んできたという伝説の山
神話を信じる信じないは人それぞれ・・・。
フイルムカメラを始めて、360枚目の現像が出来上がってきた。
10月9日の日曜日の写真だ。
何時もこのBkogを見てくれているであろう京都の御兄さん夫婦に
今の羽村を見てほしくて出かけて撮影した。
まだまだ未熟ではありますがすこしずつ写真の雰囲気が出てきたようです。
先日送っていただいた「サツマイモのお礼」のつもりです。
上品な味のサツマイモだと思います。世が世なら庶民の口に入らない貴重品のように思います。
写真の右側にある木の後ろ辺りが実家があった所です。木の陰に給水塔が少し見えます。
写真をクリックすれば大きくなりますよ。別のフレームに拡大されます。
Hasselblad 503cx Planer 2.8/80 f22 SS 30
昔の恩師は今は何も語らず。
人の顔を見ても、初対面の人に対する様な眼差し。
「先生、お元気でしたか・・・・?〇〇です。」
しばらくしても何も返答がないままに。
何処のお方でございますか?といった態度だ。
いささか戸惑う自分がそこにあった。
「先生・・・。」
「はい・・。」
あなたは誰だ、といった雰囲気。
きっと分からないのだ。まだあれから3年しか経っていないのに。
先生は糖尿病と心臓病を患ってしまい、ついに痴呆がはじまってしまった。若いころはマラソンランナーで威勢がよく村の人気者だったK先生。なんとなんと侘しい事だ。昔の様に語る事もせず、社交辞令で挨拶する。姿形は昔のままだが、その振る舞いは吾関せずという有様だ。でも、どことなく幸せそうだ。
空白の時間が自分の中で刻まれてゆく。K先生のしぐさが幼稚でかわいらしく見えた。人の老いははかなく、侘しく、哀愁の挽歌の様だった。
(写真は自宅の裏通路、デジカメ にハッせルのレンズをつけて撮影)
Hasselblad 503cx Makro Planar CF120mmf4 F9 SS 250 名栗川の川べり
9月よさらば・・・。早いものであと3カ月で今年も終わる。
東日本大震災の為か、時間が早く流れ去った。ブログを書いている最中にも
虫の音が聞こえる。Makro Planar CF120mmf4 はAdoramaアドラマカメラから中古で買った
古いレンズ。円が高いので日本の価格の半額以下だ。レンズは少しカビがあり汚い。
周りの文字も所々消えかかっている。でも、まだまだいける。
訪れた人に贈る叙情歌
送電線を見上げて
月見草(まだ日が高いので咲いていない)
川面(下流に向かう)
ブッドレア(フジウツギ)
今も健在、大きな岩その表面に草が生えて
カンゾウが道端に
多摩川(中流域)の河原にはニセアカシアなどの灌木や多くの雑草が多く生息している。40,50年前の河原はこんな情景ではなかった。玉砂利が多くあり白い河原が広がっていた。川底の玉砂利は採石されて、都会のビルの資材として盛んに使われた。その結果、何時しか川底の粘土層が露出してしまった。上流の小河内ダムが完成すると、多摩川の水温が下がり冷水の川になり、魚がいなくなってしまった。川の中を見れば、アユ、ウグイ、オイカワ、ヤマメ、ウナギ、大きなナマズなどもいたが、今では魚影を見る事がほとんどなくなった。鮎釣りをしている人を1時間ぐらい見ていたが、一匹も釣れないでいる。変わり果てたものだ。
しかし、悠然と細やかに空の色彩を映し出して流れゆく様は、今も昔も変わらない。じーとして眺めていると、時代を超えて語りかけてくる瀬音に何時しか耳を澄ませている自分にふと気がつく。空をハヤブサが飛び去り、そのあとをシラサギが舞い、セキレイがニセアカシアの木に行き交う。そして、水面にきらきらと光線が錯綜する。
やはり、ここは故郷(ふるさと)の川だ。ここで、命を得て知らず知らずに鋭気が身体に満ち満ちてくる実感がある。流れゆく歳月と今まさに流れゆく水の精が重なり幾重にも回想する過去がよみがえる。そして、明日に向かって生きようとする自らの胎動を感じざるを得ないものである。多摩川の水を飲料水として生きてきた喜びをしみじみ感じている。多摩川よ、また来るからね。
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