蒼い凝り人の独り言: 澤田哲郎展アーカイブ

澤田哲郎展の最近の記事

盛岡へ Short trip

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 7月12日(土)東京駅を20時20分に出発したやまびこ59号は
11時31分無事に盛岡駅に到着した。
今夜泊まる予定のホテルルートインの看板が、新幹線の中
からもよく見えた。
この時までは、以前泊まったホテルと今回泊まる予定のホテルが
同じだと当然考えていた。駅の外にでると、ホテルのネオンがよく見える。
東日本大震災の前の年、平成22年(2010)に宿泊した時のホテルは駅から
すぐ近くで、今回は駅の右側に暫く歩いてかなければならず以前と同じ場所とは思えない。
確かにルートインに泊まったはずなのに・・・・・。
チエックインする時にも、
「東日本大震災後にルートインは新しく建て替えましたか?」と受付のスタッフに尋ねた。
「いえ、場所は変わっていません」と親切に教えてくれた。10階に宿泊することになった。
窓の外を眺めてみると、確かに場所が異なるような気がしたが、4年前の記憶が鮮明ではない。
 翌朝は5時近くに目が覚めた。朝の散歩に出かけたが、開運橋から北上川の上流を眺めたが、
あいにくの天気に岩手山は見えなかった。川の水は濁り、水量は以前と比べて少ないようであった。
ボート下りを楽しんでいる人達・・・。
朝食を済ませて、すぐ近くにあるレンタカー店でフィットハイブリッドカーを借りた。
一眼レフのカメラと三脚等重い荷物を肩に背負い持ち運んでいたので、
車を荷物置きにして展示会場まで行き、その後は周辺の散策に便利だと考えていた。
「私はタクシーの方がいい」と言った意見もあったが、利便性を考えてやはりレンタカー
が良いという結論になった。
 以前盛岡に宿泊したのはどこだったのか?路地を入ってみたが思い出せない。
レンタカーのお店を通りすぎて盛岡駅前ビルを曲がりかけた時、ふと思い出した。
確か以前泊まった所の近くでわんこそばを食べた記憶がある。
それは盛岡駅前ビルの中にある東家 駅前店(あずまや)だった。
そこまできた時に盛岡シティーホテルの看板が目に飛び込んできた。この場所だったのか・・・。
ルートインとばかり思っていたが、初めてルートインに泊まったのは松本だった事を
しみじみ思い出した。完全に勘違いをしてしまった。4年前の事が記憶から完全に
消えてしまっている。頭の中に消しゴムがあるのだろうか?
30分程時間を潰した後、フィットで盛岡市コレクション展2014「澤田哲郎の心情」
の会場である盛岡市民文化ホールへ行き、作品を一枚一枚鑑賞した。
前回の生誕90年澤田哲郎展の時と比べると展示作品は少なかった。
しかし、展示作品には夫々簡単な紹介文が書かれていた。
壁の一角には澤田哲郎が残した詩文の様な文章が展示されていた。
1時間ぐらい鑑賞して展示会場を後にした。
会場を後にして、一路小岩井農場に向った。
盛岡の自然がとても新癬で新緑がめにまばゆい。広々とした放牧地帯が広がっている。
駐車場は満車(収容台数2300台)の8割ぐらいの車で一杯だった。
早速、ソフトクリームを食べたが、爽やかな風味に堪能した。
お土産のクッキーやバームクーヘンなどを購入した。
飲むヨーグルトをすすめられて試飲したが、さすがにおいしい!
小岩井農場を後にして、以前行った繋温泉の御所湖にドライブした。
御所湖の水位も低かった。雫石方面も霧で霞んでよく見られなかった。
昼食の時間になったが、適当なお店が見つからなかったので、
盛岡駅に戻ることにした。途中、ぴょんぴょん舎に立ち寄ろうとしたが、
満車でしかも反対車線の為あきらめた。
駅中の食堂で蕎麦冷麺を注文した。結構、冷麺風日本蕎麦という感じて美味しかった。
今回は天候が不順で風景写真を撮ることが出来ず、残念だったが、
盛岡駅構内の新幹線車両などを撮影出来て良かった。
旅行にはコンパクトズームカメラが必需品だと痛感した。
今回は一眼レフ、コンデジ、iPhoneのカメラを持っていったので不自由はなかったが、
移動するには車でないと疲労してしまう。
帰りの新幹線では疲れて寝てしまったが、車窓からの夕日がドラマチックであった。
澤田哲郎画伯、奥様(耳鼻科医)、澤田哲郎画伯の友人だった家内の父母達が雲上で喜んでおられるようであった。
 

盛岡へ Short trip 

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やまびこ59号20:20発23:31着

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憧れの駅弁

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盛岡の朝・散歩

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盛岡市コレクション展 「澤田哲郎の心情」

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会場を後にして、終日自由行動・・・・

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小岩井農場

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おいしい!♪~

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御所湖 

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盛岡駅にて

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車窓から

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  盛岡市コレクション展2014「澤田哲郎の心情」

開催期間:7月11日(金)~7月27日(日) ※月曜日は休館(ただし7月21日は開館)
時間:10:00~17:00(最終入場16:30)
前売料金:入場無料
場所:展示ホール (盛岡市民文化ホール)

自分の中で、盛岡、といえば澤田哲郎画伯。
以前、このBlogに生誕90年澤田哲郎展の記事を記載したが、今回は盛岡市コレクション展 「澤田哲郎の心情」についてご紹介します。
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澤田画伯のサムホールの沢山の絵がまだまだお蔵に眠っているそうです。早く、世に出てもらいたいと切望しています。
澤田哲郎小泉記念室さんよろしくお願いします。
我が家の雪降る町も今だ健全にあります。

盛岡市民文化ホール館長さんからの突然のメールに盛岡が恋しくなりました。

 

suwa.JPG 今日で盛岡の生誕90年澤田哲郎展も終わった。マリオスで最終日には500人の訪問者があったと聞いた。興奮冷めやらず・・・。偉大な画家のエネルギーを誰しも感じいったに違いないと思う。
 脳裏に焼きついた感動の火は密かに燃えている。サムホールの集合体などまるで宝石のような輝きを放っていた。中でも屏風に描かれた日本画を思わせる作品の朱色はハッキリしたインパクトを与えた。
 出展した雪降る街も無事に我が家に戻ってきた。昔の仲間にあったような嬉しそうな表情をたたえ、多くの人間の視線にさらされて一回り成長した貫禄を醸し出していた。絵画は視線を受けて成長した。絵画が独り立ちして語りかけてくるようだった。今日もじっと絵を見ながら、思い出とともに1日過ごした。 盛岡は川がきれいで、人が優しい。今の時期は風が頬を切るつめたさ、暖かくなったらまた新幹線で訪ねてみたい街であった。北上川が微笑んでいるような感じがした。 

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郷愁

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 私の一番下の妹からいただいたランがいつの間にか咲きだした。このランを戴いたのは何時頃の事であろうか?記憶にないが家内が言うには20年以上前の事である。それから次第に大きくなり今年初めて花芽をつけた。どんな花目がつくのだろうと、毎日楽しみにしていた。盛岡から帰ってきた次の朝に咲いていた。出かける前には咲いていなかったのに、ここ数日の陽気で急に咲いた。yuki.JPG

 ところで、盛岡の生誕90年澤田哲郎展は非常にインパクトがあり、数日間興奮してよく寝られなかった。マリオス会場と啄木賢治青春館で2日間観賞した。「職人の絵かき」だなやはり澤田は・・・・、モーツアルトを思わせる彷彿とした表現力、語らい、既に時がたち油絵の具が剥落しそうな絵もあるが、絵具の色を超えてまさにそこにはイメージが湧出するがごとく、見ているものを魅惑する。会場には涙を浮かべながら感動する人達が多くいた。ああ澤田哲郎・・・。実にすばらしかった。密かに、生家、や菩提寺にも立ち寄った。岩手山が歓迎の雄姿を現し、繋温泉の御所湖が輝いて見えた。寝ても覚めても今一度行きたいものだ・・・。ついに決心した、”出かけるぞ・・・”90sawada.JPG

 という訳で、又盛岡に出かけることになった。何度でも行きたい。その感動のおもむくまま、今日も盛岡に向かう。・・・

絵画搬出

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 9時30分を少し回ったころに、学芸員2人と日通の2人が美術品を運搬する専用車でやってきた。挨拶すると名刺を手渡された。いよいよ、梱包を開始した。壁に掛けてある絵「雪降る街」「少女」二点の作品の保存状態を入念にチェックして、その詳細を別紙に記載して写真に撮っていた。盛岡まで絵画を運搬する際に、絵具がはがれ部分的に破損しない様に細かく注意をはらいながら梱包する様子がうかがわれた。
 梱包が終わったころに、居間のテーブルで家内が出したお茶を飲みながら学芸員の人が澤田哲郎作品の話や、澤田が没した後、奥様の園子先生が澤田哲郎の作品を自分の子供のように思って澤田哲郎画集の編集をしたことなどの思い出話をしていた。
 東京国立近美、神奈川県立近美、山梨県立美、澤田哲郎小泉記念室、個人より澤田哲郎作品を借りるので時間に追われているため何かと忙しそうである。数日後には盛岡に帰る予定であり、総展示数が400点に及ぶ作品の展示準備にと余念がない。
 10時30分頃に梱包が終わり慌しく、中野に向かって出かけていった。本当に御苦労様である。こちらも仕事中であり、お茶でも飲みながらもっと詳しく歓談したかったが出来なかったので残念であった。
  盛岡市民文化ホール・展示ホール マリオス4階には3月12日(金)から22日(月・祝)まで展示される。3月1日(月)から、もりおか啄木・賢治青春館ではすでに「サムホール作品」が展示されている。かおりんさんの投稿によれば170点を展示済みと書いてあった。

大けやき

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  昨日の大けやきの周りに子供たちが遊ぶ澤田の絵をアップした。澤田哲朗小泉記念室の発行した写真集から掲載した。SAWADA と書かれている表紙の画集の中ににある。 いよいよ明日は絵を盛岡に運ぶため、忙しくなりそうである。澤田哲郎の生涯展にふさわしい作品が多く搬入されるようである。2週間後には盛岡に出かけると思うと今夜も密かに興奮してくる。左の大けやきは羽村の堰からすこし坂を下った信号の脇にある。遠くから見てもすぐにわかるほど大きい大木である。    keyakiko.JPG

 

 

 

 

 

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大けやき

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 今日から3月、寒さもだいぶ和らいできた。梅の花もだいぶ咲いている。昨日、羽村の堰に出かけたが、河原におりるところが通行止めになっていた。途中の道端にはマンサク、や紅梅が見事に咲いていた。昔妻の実家だった所の近くの大きなケヤキの木が上手に剪定されている。と言っても人が梯子をかけて届くような高さではない。自然に葉が落ちると程良い具合に形態が整っている。自然の植木屋さんが空中から剪定しているようだと感じる。

 澤田哲郎画伯が妻の実家によく遊びに来たが、そんな折そのケヤキの木の周りに8人の子供と子供を背負った両親を描いている。大樹に子供達(1962)Sawada という色紙が 静岡県富士宮市に在住の熱心な澤田哲郎愛好家(澤田哲郎小泉記念室)の手によって発行された画集の中にある。

 思えば48年前の事で、妻もまだ小学生の頃だと思う。妻の両親に連れられて中野のアトリエに行った。部屋の中に、粋な女性(澤田画伯の奥様)がいてペルシャ猫がたくさんいた。異様な臭いが鼻先に漂ってきた。油絵具と猫の臭いが混ざったような面白い臭い。アトリエにはキャンバスがうず高く積まれていた。あまり詳しく覚えていない。当時の記憶からすれば気味の悪い絵を書く人だと感じた。

 しかし、今は違う・・・。人間の奥にある言葉には言い表せない表情をどの絵からも感じる事が出来る。

 羽村の川で投網を打った澤田さん、禁漁区で投網を打ち警察に捕まった妻の父の事、警察で出されたカツ丼が美味しかったと得意そうに話した妻の父が懐かしく思い出される。

 「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず・・・川面に浮かぶうたかたは・・・」方丈記の一節が浮かんでくる。過ぎ去った時代の片鱗をこの大ケヤキは見てきた事だろう。そして人々の生業も・・・。

sawadaPan.JPG 生誕90年澤田哲郎展のパンフレットが文化庁・澤田哲郎生誕90年展実行委員会からおくられてきた。そのパンフレットをWEB上に掲載してもよいかと問い合わせたところ快諾を得ましたのでその一部を掲載させていただきました。全部はpdfファイルでアップしました。sawada.pdf(生誕90年澤田哲郎展)

 今回の展覧会は最大の澤田哲郎生涯展であろうと思われる。今後このよう企画はなかなか無いと思われ、それだけに感慨深いものがある。作品が持つ独特の感性、期待感、重厚感、詩文の様な語らい等、作品の中に共有する澤田画伯のスピリチュアルな部分が必ずや大きな波動となって展覧会場に広がる事であろうと期待しています。個の作品単独では決して感じとれなかった絵描職人澤田の部分が、作品群としての展示の中から甦ることであろう事に期待感が高まりつつある。

盛岡に行く準備

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sawadfa1971.JPG 盛岡で開催される ―生誕90年―「澤田哲郎展」-盛岡・シベリア・東京・アメリカ‐に行こうと、盛岡の繋ぎ温泉の旅館に予約をとった。3月13日(土)、14日(日)で出かける予定。我が家にある澤田哲郎の「雪降る街」も展示される予定だ。雪降る街は会場でご覧ください。多くの作品が展覧会で共演する状態を早くみたい。左の絵はサムホールで寝室に掛けてある。sawada 1971
 以前に一度、安比高原に旅行で行った事があるが、盛岡の市内などほとんど記憶にない。澤田哲郎画伯は妻のお父さんと親交が深く、我が家にも訪ねてきた事があった。その時、自分の描いた油絵を見せた。絵については何も言わなかったが、毎日同じものを描き、1年後にそれを見ると何か必ず新しい発見があると言っていたのが記憶にある。物事、同じ事の積み重ねで、ふと振り返ると新しい境地に到達しているという意味であろうか?それから、数年して澤田さんは他界した。澤田画伯の奥様は耳鼻咽喉科を中野で開業され、澤田画伯を経済的に支えた女医であった。傍から見ると不思議な御夫妻であったようだ。その後に、東京・ギャラリージェイコつくし野店の個展があり、澤田画伯の絵を守ろうと数点購入した。澤田画伯の絵はニューヨーク近代美術館や、神奈川県立近代美術館、岩手県立美術館、山梨県立美術館などに納められている。その中から、日本にある数点が盛岡の展示会場に運び込まれるそうである。澤田哲郎は藤田嗣治に師事して、腕を磨きあげ独特の作風が面白い。戦後、間もなくの頃にロシアに捕虜として残り、帰還した。戦後間もないころの作風はロシアの人や貧乏な人達を描いている。ニューヨーク滞在の頃は次第に抽象の世界に入り、晩年はまた職人の絵描きを自負し、生涯「三万マイ」を掲げてサムホールに心の詩文を具象化した作風を描き続けた。一見、見苦しく、しかも日常に存在するものの中の非現実的空想描写が多い画風だが、一皮むいた人間のもつ独特の臭気が紛々と鼻を突く。じっと立ち止り考えさせられてしまう。ネットに盛岡市インターネット美術館というのがあった。
 女房のお父さんが口癖のように言っていたのを思い出す。「澤田は将来必ず世に出る人だ、やつは本当の絵描きなのだ・・・」その言葉が今ある絵を購入するきっかけになった。今回盛岡に展示される前に、富士宮の澤田哲郎小泉記念室の展示会に出した事がある。大作は自ら展示会場を求めて歩きだした。今回、盛岡での展示会が最大の展示会になると思う。これを機に世の中に多くの作品が出てゆけることを願っている. 


―生誕90年―「澤田哲郎展」-盛岡・シベリア・東京・アメリカ‐ 

 会期 /会場 

     ・2010年(平成22年)3月12日(金)?3月22日(月・祝)

       盛岡市民文化ホール・展示ホール(マリオス4階)019-621-5100

          ・ 2010年(平成22年)3月1日(月)?3月28日(日)

          もりおか啄木・賢治青春館 「サムホール作品展示」019-604-8900

           入場無料

 

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